束縛されたくない、だけど、孤独を思い知らされたくもない。矛盾する望みが彼女を拘束する。だから、妹なんていらないと言い張ってきたのだけど、ときには心が揺れることだってあるのだ。
 テニスボールをふたつ、膝に乗せたまま彼女は物思いに沈んだ。そのうち、眠り込んでしまったらしい。
「……?」
 はっと気づくと、目の前に小さい黒い猫ちゃんが、じっと蓮奈の顔をのぞきこんでいるではないか。
「しらゆりさま、だあ…」
 大きな瞳も、猫に似ている。目をくりくりさせてつぶやいたので、蓮奈は思わず頭を撫でてやりたくなった。
「はじめまして。貴女、お名前は?」
 すると小柄な後輩は、糸切り歯をのぞかせていかにも嬉しそうに笑った。
「わたしっ、1年雪組10番、切原あかね、ですっ!」
(元気のいいこと。見ていて、気持ちがいいわね)
 蓮奈は微笑ましく思い、ボールをあかねに返してやった。
「テニス部なのね。試合場に行かなくていいの」
「今日は、補欠なのです。それにわたし、真田副部長に叱られて…」
「弦乃さんに? どうして」
 尋ねるとあかねは不満そうに頬を膨らませて答えた。
「あなたはお行儀が悪すぎてみっともない、聖リリアンヌの恥になるから、引っ込んでいなさいって怒られたんですぅ。テニスは強いけど口のきき方がなってない、って」
(まあまあ)と蓮奈は苦笑した。弦乃自身のお行儀だってどうなのだ、いつもはドスドスと地響きを立てて廊下を歩いているくせに、と思ったからである。きっと、今日は精華が視察に来るから、しつけの悪い子を隠したのだろう。
「わたし、これでも一応レギュラーで、1年生のトップなんですよ! 今日は試合に出る気満々だったのになあ。相手はぜんぜん格下だし、軽くいなしてやるところだったのに、ちッ」
「残念ね。でもきっとまた貴女の実力を見せてもらう機会があるでしょう」
 あかねがベンチの上であぐらをかいて舌打ちしているので、さすがにたしなめてやったほうがいいような気もした蓮奈であったが、とりあえず今はやめておいた。蓮奈に慰められると、後輩は目を輝かせた。
「しらゆりさま、また、見にきてくれるの? しらゆりさまが見てくださるんだったら、あかね、絶対勝ちますっ! だってあかね、ファンなんだもん、しらゆりさまの!」
「ふぁ、ふぁん、なの? それは…」
 ありがとう、と言おうとして蓮奈は言葉に詰まった。あかねが急に身を乗り出し、まじまじと彼女を見つめながら、頬を赤らめてつぶやいたからである。
「……すっごく、すごーく、おきれいですぅ! 天女さまみたいって、みんな言ってるけど…」
 生まれたばかりの小さな猫が、自分をとりまくこの世界の美しさに初めて気づいたかのように、それはまっすぐに、真正直に少女は蓮奈に、いたいけな視線を向ける。
「やっぱし、聖リリアンヌ一の超美人さんです! しらゆりさまは、あかねの、あこがれの人ですもん……!」
「まあ……」
 見つめあう二人。そこへ、紅百合の姉妹が駆け込んできた。
「もぉ、蓮奈ったら、黙ってどこへ行っちゃったのかと思ったら…」
「あかねッ! こらぁ、何サボってんのこんなとこで!」
 弦乃が目を吊り上げるとあかねは条件反射のようにぴくりとしてから、怯えた子猫のような(みゅー)という声をあげて蓮奈にぺたりと張りついた。
「なっ……あんた、白百合様ともあろう御方になんて無礼を! 離れなさい!」
 弦乃がさらに怒鳴ったので、蓮奈はあかねの頭を抱え寄せ、おさまりの悪い髪をやさしく撫でてやった。
「いいのよ弦乃さん。私が、この人を引き留めてお話していたんですから」
「あらま、白百合様ともあろう方がテニス部の1年生といったい、何のお話?」
 精華が興味津々の様子で聞いた。あかねがもじもじして、蓮奈を見上げる。
「この人に私の、妹になっていただこうと思って」
「・・・な、な、なんですとぉ〜!?」
「まあ、素敵! 蓮奈に妹ができるなんて。貴女、もじゃもじゃさん、それじゃあ今日からよろしくね」
 ラケットを取り落とすほどに愕然としている弦乃には構いもせず、精華が嬉しそうに言い放った。
「もじゃもじゃさんじゃなくてよ、あかねよ。切原あかねさんというの」
「だって、ぬいぐるみみたいで可愛いじゃないの、この頭。私は、もじゃ子さんと呼ぶわよ。いいでしょう」
「良くないわ、あかねよ」
「そ、そんなことより…白百合様、お願いですから、お考え直しください。こんなやつを『白百合のつぼみ』にだなんて!」
 弦乃は必死の形相で訴えたが、蓮奈は相変わらず人の話を聞いていないし、精華は「もじゃもじゃ〜」と喜んでいるし、もじゃ子さんは魔法にかけられたみたいにとろんとした幸せそうな顔で、ひたすら精華に撫で回されるままになっているのである。
「わーい、わーい、あかね、しらゆりさまの妹になるんだあ〜」
「あかねさん、それで、よろしくて?」
「はい! がんばります! あかね、しらゆりさまのためなら何でもします!」
「私のことは『蓮奈さん』でいいのよ。妹なのだから」
 蓮奈が自分の、真珠のついたロザリオをはずしてあかねの首にかけてやると、あかねは大きな目をきらきらさせてうなずいてから「あっ、あかねは、もじゃ子さんでも別にいいです」と精華に向かって元気よく言った。弦乃が無言で頭をかきむしった。