「そうではないよ。俺も、認知されていない私生児だ」
「そんなわけが…」
「本当だよ。俺たちの父さんという人はね、8人もの女性との間に子供を作ったのに一度も結婚していないんだ」
 8人も…こいつだけでなく、他にもまだ顔も知らない兄弟が6人もいるのか?! 絶句する赤也に蓮二は微笑んだまま告げるのだった。
「ああ、安心しておいて。きみが今のところ、最後の子供だからね。まあ、彼に文句は言えない。父親としての経済的な義務は十分すぎるほどに果たしてくれているし…きみだって、お金に困ったことは今までなかっただろ? それに、僕らの母親たちも誰一人入籍を望んではいなかったし、子供の父親を求めてもいなかったんだよね。N氏は…彼がそう呼んでくれっていうから、そう言うけど、彼が自分でそう言っていたよ。きみのお母さんは、アーティストなんでしょう?」
「んなカッコイイもんじゃねえけど…本の挿絵とか、ポストカードとか描いてた」
「そういう自由な魂の持ち主を、あえて婚姻の絆で縛る必要はないんだってさ。俺の母は分子生物学をやってるんだけど、ずっとスウェーデンで研究してるらしいんだ。多分、子供を生産したことはもう忘れてるんじゃないかな。俺を産んですぐ、実験が山場だからって研究所にとんぼ帰りして、以来N氏とは会ってないそうだよ。俺も、手紙やメールはもらってるけど会った記憶はないな」
「じゃあ、アンタは誰に育ててもらって…」
「この人」
 蓮二は笑って乾を指差し、乾はうなずきながら続けた。
「お子さんは8人おられるが、蓮二様だけは総帥の手元に残されたので、行きがかり上、私と社内の中枢に近い者がお世話させていただいてきた。非常に優秀でいらっしゃるので、小学校5年からパートタイムで証券の方に勤務していただいてるが、現在は嘱託上級研究員として、シンクタンクにご所属なさっている。ただ、総帥のご子息だということは限られた人間にしか明かしていないので、あくまでも一社員としてだ」
「アンタ、会社員なのかよ!!」
「うん。このみかんはうちのバイオ部門で品種改良したやつで、はちみつっぽい味がちょっと入ってて美味しいんだよ。食べな」
 きれいにむいたみかんを赤也に勧めると、蓮二は床に置いてあったティッシュの箱も取ってこたつの上に乗せてくれた。赤也は、畳の上に広げたままの新聞がよく見ると英字新聞だったのに気づき、目を白黒させた。この、自分の兄と名乗る男はいったい何者なのだろうか。父親は伝説の財閥当主で母親は科学者、中学生のくせに会社に勤めてて研究員で…もしかして、ものすごい天才少年なのか? こんな平和なのん気そうな顔をした奴が。
「赤也は、なにか好きなものとか得意なこととかある?」
 突然そう聞かれて、赤也は戸惑いながら答えた。
「俺は……まあ一応、テニスなら、自信あるけど」
「ああ、そうだっけね! 学校で後輩から聞いたよ。ねえ、よかったらちょっと勝負しない?」
 返事をする間もなく蓮二が立ち上がり、こたつを片付け始めた。「え、え?」と赤也がきょろきょろしていると、なんと、床の畳がするすると動いて自動的に両側の壁に収納されていくではないか。
「なにーっ!?!」
「あんまり練習に出られないんだけど、俺も一応学校ではテニス部なんだよ」
 天井にもエアクッションが出てきて、呆れたことに、和室がインドアコートに早替わりしている。乾が審判台を出してきた。赤也は致し方なく、別室で着替えてコートに立った。
「言っとくけど、本気だぜ」
「望むところだ。きみがお客様だからサービスをあげる」
「余裕こきやがって、後で泣いても知らないぜ…兄貴でも手加減なしだからな!」
 そう毒づくと、蓮二がにんまりと笑って提案した。
「ただの勝負じゃつまらないね。勝ったほうが、負けたほうにひとつ、言うこと聞かせることにしようか」
「受けて立つ! 後悔させてやるからな」
 しかし、打ち合ううちに自分のほうが後悔する側であったことを赤也は思い知らされた。表情ひとつ変えずに鋭く斬り込むような球を打ち込んでくる蓮二は、恐ろしく達者なプレイヤーであった。しかも、初めて対戦する相手をコンピュータのごとく冷静に観察している。
「今の、いいフェイントだったけど、顔に出てたよ。てめえ見てやがれって目をしたでしょ」
「う、うるせえや! いちいち茶々入れんなよ!」
 持ち前の負けん気で5−5まで持ち込んだが、そこからあっという間に主導権を奪われてしまった。悔しいが実力の差だ。赤也はぐったりして、蓮二を呆然と見上げた。あらためて見るとずいぶん背の高い男だ。
「楽しかったね」
「ちぇっ、今にみてろよ」
「きみも生き生きしてたよ。授業のときなんかよりずっと。俺、この1週間学校でこっそりきみを観察してたんだ。どんな子かなって、心配だったけど、やっぱり会えてよかった。一番下の弟だから、面倒みてあげたいしと思ってたんだけど…嫌だった?」
 急にどことなく頼りなげな様子になり、蓮二が言った。顔も知らない「父」の援助を受けるなんてごめんだ、とさっきまで思っていたが、自分に救いの手を差し伸べてくれたのはこの「兄」だったのか…と思ったら、なんだか邪険にしては悪いような気もしてきた。しかし、得意なテニスで負かされたのはどうにも腹立たしく、素直に好意を受け入れる気持ちには到底なれなかった。
「アンタの世話になんのは、やっぱ納得いかねえよ。アンタは頭もいいんだろうし、社員なんだからここで食わせてもらってもおかしかねえだろうけど、俺なんか取り柄もねえし」
「そう」
 蓮二は短く応じて目を伏せたが、すぐに皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「でも、俺に負けたんだからひとつは、言うこと聞いてもらうよ。いいね?」
「げっ…そ、そだった、不覚」
 あたふたする弟は気づいていなかったが、兄はとても愛おしげに、彼を見ていた。