気づくと、蓮二は切原君とあまり年の変わらない学生さんの姿になっていました。
(おおおおおお)と蓮二は感動して自分のおててを見ました。これならパソコンも打てそうです。
 守衛さんがやってきたので連二は、いつもカヲルちゃんや乾先生がやっていたように「2名残りまーす」と言ってやり過ごしました。そして、切原君の散らかしている資料を見てみました。驚いたことになんとなく、何が書いてあるのか理解できます。あれほど本がわかるようになりたいと願ったのがかなったのだなあ、と、蓮二は感激で胸が熱くなりました。
(よし、猫が切原君に代わってこの卒論を完成させてあげよう)
 蓮二はパソコンの前に座り、頭に浮かぶまま、キーに指を走らせました。途中で気づいて寝ている切原君にジャケットをかけてやり、乾先生がよくしていたようにインスタントコーヒーを淹れてみましたが、人間になっても猫舌は相変わらずで、冷めるまで飲めませんでした。
 窓のガラスに映る自分の様子を見ると、なかなか悪くない美男子でした。毛も真っ黒でつやつやしていてきれいですし(猫の基準では、毛がつやつやしているのが一番いいことなのです)。コーヒーを冷まそうとふーふー拭いていると、驚いたことに窓の外に、サエがいてそおっとこっちをのぞいています。ベランダ伝いにここまで上ってきたのでしょう。
「サエ、俺だよ、入っておいでよ」
「おどろいた、やっぱりおまえか。オジイが昔言ってた、猫はお世話になったご恩返しのためなら、人間にしてもらえることがあるって」
 サエは蓮二と切原君を見比べ、しみじみと言いました。
「おまえの中にはたぶん、こいつと何か深い縁のあった奴の魂が入ってるんだよ」
「そうだね」
 蓮二は素直に認めました。切原君のことを、純粋に好きで、大事にしたいと思ってる、と感じたのです。この気持ちは誰のものなのか、自分なのか、それともいつかどこかの世界で誰かが密かに抱いていたものなのか、猫にはわかりません。だけど、そのピュアな気持ちは確かに心の中にあって、クリスマスのお飾りのようにきらきら輝いているのでした。蓮二は、この先いつかどこかで人間に生まれ変われたら、そのときはきっと切原君と仲良くなれるだろうと思いました。ひょっとしたら、そのときは切原君のほうが猫に生まれ変わっているかもしれませんが…。
 明け方まで一生懸命パソコンを打って卒論を書き上げると、蓮二は紙の束を綴じて表紙をつけ、切原君の前に置いてあげました。サエには「綴じるぐらい、こいつにやらせろよ」と言われましたが蓮二は、自分が論文を書いたことにとても満足だったので、最後までやりたかったのです。朝の光が射してくると、蓮二はもとの猫に戻りました。寝ている切原君に軽くネコパンチを食らわしてあげると、蓮二とサエは急いで窓から逃げました。しばらくたってから切原君が歓喜のおたけびをあげるのが聞こえてきました。
 真田先生はその日、蓮二にすごいプレゼントをくれました。マタタビの枝でできた鈴入りのボールと、鳥の羽のついたおもちゃのねずみと、サーモンの燻製でした。
「すまん。お前を飼ってやれなくなった」
(いえ、かえってよかったです、猫はやっぱり大学が好きですから)と蓮二が言うと、先生はため息をつきました。
「幸村が近所の寺から、仔猫をもらってきてしまったのだ…そいつが、どうにも俺は好きになれんのだが…チビのくせにやたらと生意気で、噛むわ蹴るわ引っかくわ、どういうつもりか…。お前もあんなのと住んでも迷惑だろうし、餌は用意してやるから今まで通り、ここで暮らせ」
 そう言って真田先生は、素敵な猫つぐらまでくれましたので、蓮二は大学一裕福な猫になりました。サーモンの燻製はクリスマスにみんなと分けて食べました。
 その後、切原君の卒論は「あまりにもレベルが高すぎて本人の書いたものとは到底思えない」と経済学科で物議をかもしましたが、卒論だから業績には数えられないしまあいいだろうということで、審査をパスしました。切原君の指導教官が後で自分の名前で、論文を学会誌に投稿したことは内緒です。