「降ってきちゃったね……」
 いつの間にか音も立てずに、雨が降ってきていた。
 とても静かだった。沢山、話したいことがあったし、聞きたいこともあった気がしたけど、聞ける気分じゃなくて俺は黙っていた。何を話し合ってももう、遅いのかもしれない。それなら、黙ってこうしているほうがいいのかもしれない。急に俺は、いつか雨の日にユキとふたりで帰ったことを思い出した。あの頃から蓮司には、何もかもが分かっていたんだ。そう思ったら、少し後ろめたい気持ちもした。
 口笛みたいな音を立てて風が吹き、雨粒がガラスを叩いた。俺は立って縁側から外を眺めた。雨のしずくが軒先からこぼれて落ちるのを見ていたら、ユキの小さな声が聞こえた。
「今年はもう、3年生だね」
「そうだな」
 俺は窓の外に目をやったまま答えた。
「ねえ、弦一郎」
 振り向くと、ユキの瞳はまっすぐ、俺を見ていた。
「ぼくらの夢を、かなえてね」
 答える言葉を、俺は探したけれど、うなずくことしかできない。それでも、ユキはしあわせそうに笑って、俺だけを見つめてくれていた。
 不公平なこの世の中で、俺は果たしてユキにふさわしい人間といえるのだろうか。ユキが俺を選んでくれても、俺には何がしてやれるというのだろうか。俺にできることがあるとしたら、それは……
(こういうことは、言葉にしなきゃ)と言われた、あの言葉を言ってやることか。



 胸の中に幼いころからの思い出があふれて、たくさんの楽しかった出来事がよみがえって、それがもう、途切れてしまうのかと思うと、俺にはまともに何かを言うことなんて到底、できるはずがなかった。


 ふわふわした髪をそっと撫でると、ユキは俺の手を取って、ありがとう、とささやいた。


 そして今、俺は自分に託された夢をかなえるために、歓声で沸き立つコートにひとり、立っている。
 やるべきことをやるだけだ。俺は、自分の力を信じる。
 それをやり遂げた時に、言えるかもしれない。いや、きっと言えるはずだ。
 俺が言えなかった言葉を聞くために、ユキはかならず、待っていてくれると思う。