いつの雨の日だったかもう、よく覚えていないけれど。
 土曜日だった。雨で練習がなくなり、3人で一緒に帰ろうということになった。
「俺、傘もってきてないや」
「俺も」
 靴箱のところで待っていたユキの手には、ちゃんと傘があった。それを見ると蓮司は急に立ち止まって、
「……忘れ物した。先帰ってて」
 そう言ってすたすた行ってしまった。ユキが「待ってるよ」と声をかけたけど、振り向きもしないで、いいから帰れ、と言うばかりだった。
「蓮司、どうしたのかな?」
「あいつ変わってるからな」
 そう返事しながら、俺は自分がすごく嫌な奴になってしまったと思った。それなのに嬉しくなっている自分もいて、すごく複雑な気持ちだった。
 ユキの白い傘に入れてもらって、ふたりで帰った。しとしと降ってる雨で、制服の肩が冷たくなった。大分たってから、俺はユキが傘を一生懸命、高くさしてくれてるのにやっと気づいた。こういう時、蓮司ならすぐに、俺が持つよ、って言うんだろう。でも俺はユキのことを、女の子みたいに扱いたくなかった。かわいくて優しくてお姫さまみたいでも、ユキは男で、俺の友達だ。
 楽しそうにしゃべりながら歩いているユキの髪に、雨の飛沫がかかってた。それをずっと気にしながら、俺は何も言えないまま駅まで歩いた。


 うちのテニス部は本当に厳しかった。ものすごい競争をくぐり抜け、残った奴だけが認められる。じきに先輩のくだらないいじめなんかどうでもよくなった。実力がある者が勝つ、それだけのことだ。
 俺は1年の終わりからレギュラーになり、ユキも蓮司も2年に上がるときっちりレギュラーになった。その頃にはもう、誰もユキのことを「姫」なんて呼ばなくなり、俺は安心した。ユキは陽気な丸井と親しくなり、蓮司は秀才の柳生とよくつるんでいるようになった。蓮司は几帳面に皆のデータを取り、練習メニューやコンビネーションのアドバイスをくれた。
「弦一郎、一度俺と、ダブルスやらないか?」
「やってもいいが…蓮司は元ダブルスチャンピオンだろう。俺じゃ役不足じゃないのか」
「何を馬鹿なことを。弦一郎なら、相手にとって不足はない」
「へんなの。それって、ライバルに言う言葉じゃない?」
 そばで聞いていたユキがくすっと笑った。蓮司は大きくうなずいて答えた。
「ああ、弦一郎は俺の最大のライバルだ。でも外の敵を倒すためには、内の敵とは手を組まなきゃな」
 内の敵だって!こえーな!と丸井が大袈裟に驚きながらユキの顔をのぞきこんだ。ユキは笑って言った。
「だって蓮司と弦一郎は小学校からずーっと、戦ってるもん。でも仲いいんだよ」
「ユキとだってずっと戦ってるじゃないか」
「でも仲いいもんね」
 にこにこ笑ってそう返されると、俺はなんだかのどかな気分になって、ユキの頭に手を置いて撫でた。丸井に「真田、ゆきワンコの飼い主みたい」と茶化されたけど、悪い気はしなかった。