「悪いな、妙なことになっちまって…」
「いや、それより桑原こそ、芝刈りご苦労様。マジであれ全部刈ったの? 拷問だね」
 案の定、ここも外国サイズで桁外れに広かった。僕はジンジャーエールの缶を開けて、フェイクファーのカバーがかかっているトイレの上に腰掛けた。桑原は汚れたTシャツを脱ぎ捨て、しばらく訝しげに僕を眺めてから、やっと言葉を口にした。
「……なあ、俺、入って行かないほうが、良かったか?」
「え?」
 僕が首を傾げると彼は目を背け、ひどく言いにくそうに言った。
「いや……幸村は、女には興味ないのかと思っててさ。なんか、ちょっとそんな話聞いたから」
「誰から?」
「だ、誰っていうんじゃないけど…」
「雅治でしょ」
 僕はつい笑ってしまった。桑原は本当に真面目でお人好しだ。言い当てられておどおどしている。僕よりずっと強そうな見かけをしているくせに。アネッサと同じ滑らかな褐色の肌に、流れ落ちる汗の光る胸板は、僕が知ってる同い年の連中の誰より逞しかったし、彫の深い顔立ちのせいで一段と大人っぽく見えた。
「僕が本当に『女には興味ない』と思うんだったら、桑原はもっと自分の心配をしたほうがいいんじゃないの? 雅治に聞いてるんでしょ、僕の毒牙にかかったら、大変だよ」
 わざと蓮っ葉な台詞を吐いてやった。すると、桑原は眉間に皺を寄せて顔を強張らせ、真剣な声で聞いてきた。
「ほんとに仁王と、やったのか?」
「あは、嘘だと思ってたんだ!」
「奴の言うことだから…話半分で聞いてたんだ。まさかだろと思って」
「まあ、雅治がどんな大ぼらを吹いたか知らないけど、やったのはホントですよ」
 立ち上がって僕は、彼の瞳の奥を視線で探った。
 身体の中で、ジンジャーエールの泡みたいな危険な何かが、ぱちぱち音を立ててはじけ出すのを僕は感じていた。僕の内側に潜んでいる、何もかもにうんざりしているエゴの怪物が、自分の持てる唯一の力を使って現実を侵略したがっていた。こんな堕落した僕の瞳に映っている嘘だらけの世界なんて、いくらでも崩壊してしまえばいい。誰でも構わないから、僕を痛めつけて、これ以上意識が続かないようにしてよ。じゃないと、僕は、ああ……
 あいつのことをまた……
 死ぬほどつらい、幸福すぎたあの日の出来事を、思い出してしまう!
 桑原は、強張ったままの顔で僕をじっと見つめていた。だけどきみが今、見ているのは、僕ではないよ。きみの視線が今、とらえているのは、僕自身も知らない僕なんだ。途切れた時間の中に住んでいる、誰にも制御されない僕。
 きみが誰かも考えないで、唇をほころばせ、
 いともたやすく身体を投げ出す。理性を手放し、記憶の裏道に迷い込むんだ。