真夏の太陽に限りなく近い陽射しが、真上から照りつけている。
 僕はふらつきながら歩いていた。駅が向こうに見えているのに、どこをどう横断したり地下道をくぐったり上がったり下がったりしたら着けるのか、頭が働かないからよくわからない。海に面した綺麗なホテルを出てから、結構長い時間が経ってるような気がする。でも多分、ほんの少しの距離しか進んでいない。蜃気楼みたいに揺らいでみえるあそこには永遠に辿り着けないように思えてきた。
 昨夜、拉致られてきたときは車だったから、道とか見てる余裕なかった。部活帰りの僕に電話してきた西園寺先生は、今からホテルの近くの駅まで出て来いと命令した。反論の余地は一切ない。僕とあの人の関係は常にそうだ。僕は彼に命令された通りにするだけ。理屈じゃない恐怖が刷り込まれているから、あの人の声が聞こえてきただけで僕の理性は半分以上停止してしまう。
 先生は電話や、普通の場所では決して声を荒げたりしない。ごく常識的に大学教授らしく振舞い、僕のことは妹の子どもだと滑らかに嘘をつく。そして、それを全部黙って聞いていた僕と後で二人だけになると豹変する。僕はその落差にこそ空恐ろしいものを感じる。あそこまで変われるって、一体どういうことだろう。僕が学校ではいい子な面を見せて、外では悪い子な面を見せてるのなんてあれと較べたらまるで子供だましだ。
 駅のホームで電話を切ってしばらく、僕の耳には静かなホワイトノイズみたいな音しか聴こえなくなった。電車が何本も滑り込んできては離れてく、それも自分と全然関係ない映画みたいに見えてた。次の電車が来たらあそこに飛び込もう、そしたら行かないで済む。それ以外の言い訳ではだめだ。どこまでも追及されて嘘を暴かれる、そしていつものように罵倒されて、貶められて、意識が途切れるまであの人に奉仕させられて陵辱される。
 死ぬしかない。
 目の前に走りこんできた電車が突然、けたたましい警笛を鳴らして、僕の耳は元に戻った。同時に判断力が少しだけ蘇った。そうだ、明日は、梨奈先輩たちの合宿の手伝いに行かなきゃいけない。10時に新松田の駅で、ってさっき真田と約束したじゃないか。10時に待ち合わせが…って、先生に言って……無理だ。ありえない。僕に言えるはずがない。今夜は絶対帰してもらえないし明日の朝10時に僕がどうなってるかなんて……考えることもできない。僕の自意識は多分このあと午前2時ごろには暗闇にまぎれちゃって、もしあの人がそのまま僕の身体をバスタブに沈めちゃえば永遠に復活しないだろう。