「え……?! 何ですか、あれは、幽霊? それとも…」
「あの人はいずれにせよ、どうしても一度死ななければならなかったのです。死ななければ、運命から開放されることができません。かわいそうだけれど、私にもそこは動かすことができなかった。あの人の定めは、この次元よりも上にいる何者かによって、あらかじめ決められていたことなのです…」
 姫はせつなそうに言って、手を取り合っている参謀閣下と彼の幼馴染とを見つめました。ふたりはなにやら、とても感動している様子でした。
「ほら、ごらんなさい。あの人はこれで、戻るべきところに戻れます」
「戻るべきところ…? それは…」
「川向こうにある、竜の学塔という学問院です。あの人とあの黒い羽根の御方とは、そこで双璧と呼ばれた秀才同士で、共に学塔の後継ぎと見なされていた方たちなのです。そこが彼の本来の居場所なのです…そこでこそあの人は、心穏やかに日々を過ごすことができましょう」
 そう言った姫の瞳から、透き通った涙がひと粒、こぼれて落ちました。
「あの人の愛に私は応えられなかった…このまま、彼を見捨てることはできないと思いました。だから、私は眠りの湖に沈み、意識を手放してこの次元への支配を放棄しました。そうしている間にあの人が命を落とせば、次元の定めをすり抜けることができると思ったのです。…うまくいったようですね。彼は確かに一旦死んだのだから、これからはもう、好きなところに行けます」
「姫さま、でも、でも、それじゃ参謀閣下を、川向こうにお返しになってしまわれるのですか? あんなにレベルの高い魔法使いを失ったら、うちは…」
「あなたと皇帝とで、守りきれます。自信をお持ちなさい」
「でも……」
「それとも彼に、いてほしい?」
 涙を拭いながら、妖精の姫は尋ねました。
「あなたに愛されたら、彼は留まってくれるかも。確かに、あの人らしくない最期でしたよ。まるで私があの人を選べないと答えたときのようだった。そういえばあのとき以来でした、あの人が理性を失うのを見たのは…」
 姫はそう言うと、赤い瞳に向かって、いたずらっぽく微笑みかけました。
「意外に、そうなのかもね。あなた、それなら頑張ってあの人を引き留めなさい。気が合わないこともないでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 引き留めなさいって、そんな…オレ、無理です、そんなの。オレなんかがいても意味ないし、って、いうかそれよりなによりその…参謀閣下は、姫さまが好きなんですよ!」
「好きだった、と言ってあげて。あの人はもう、私に未練はないはずです。託しますから、あなたが彼を大事にしてあげて」
「だめだめ、マジで、無理ですからオレは…大体あの人にあの、そのですね、すげえヤバいとこ見られてるし」
「やばいとこ?」
 姫のお上品な唇から、大変不適切な言葉が聞かれたので赤い瞳は慌てて、氷の剣を持ったまま手をぱたぱた振り回しました。