ある日、司祭は私服で外出しました。仮の宿に戻ると、路地に荷車を引いた魚売りが来ています。司祭はあまり生臭いものを食べませんが、たまには良いでしょうと魚売りからいわしを一皿買いました。料理の腕には自信があります。
 さて、司祭が魚を持ち帰ろうとすると、経木の包みからいわしが一匹、滑って落ちました。
「おや、いけない」
 石畳の上に落ちたいわしを拾おうと腰を落とした時、横から突然、灰色のつむじ風がぶつかってきて、いわしを奪われたのです。司祭は驚いて遅れを取ってしまいました。視線の先のほうで、つむじ風が立ち止まり、振り返りました。痩せて鋭い目つきをしたしなやかな灰色の猫でした。
「ああ、猫さんにいわしを盗られた…できれば返してください、神に仕える身は裕福ではないのです」
 司祭は猫を追って曲がりくねった路地に駆け込みました。猫はいわしをくわえて飛ぶように走っていきます。塀を乗り越え、いわしの、いや猫の後を追う司祭はじきに奇妙なことに気づきました。猫は曲がり角や高い塀の上で必ず、振り向いて司祭が追いつくのを待っているのです。この猫は私をどこかへ連れて行こうというのだな…そう理解すると司祭は、ゆっくり猫についていきました。
「なんと、お子さんがおられたのですか…」
 猫がたどりついた場所には小さな痩せた仔猫が5匹も待っていました。ニイニイと声をあげる仔猫たちの前に、灰色の猫はいわしを置きました。
「親御さんでいらっしゃったのですね。このご時世、5匹も育てるのはご苦労でしょう」
 司祭は夢中で食事をしている仔猫たちを眺め、気づきました。皆、茶色や三毛の猫です。
「貴方のお子さんでは、ないのですか…?」
 灰色の猫は澄まして身づくろいをしていました。司祭は感銘を受け、猫にむかって小さく十字を切り、「愛情深い猫さんに祝福あれ」と唱えました。
 翌日から司祭は毎日、残り物を仔猫の兄弟に届けました。灰色の猫は二度と現われませんでした。おそらく自分に仔猫を託したのだろう。司祭はそう信じました。