夜勤の看護士さんが入ってきて、今日はきれいな満月ね、と言った。
 毎晩見てると、月は少しずつ満ちてきてまた欠けていくのがわかる。
 入院する前はそんなの、気にしたこともなかったけど、今はすごく暇だからちょっとのことでも、変化を見つけるのがとても上手くなった。
 看護士さんは僕が散らかしている教科書を片付けてくれる。そして、今日はあの子が来てくれたの?って笑う。
 ほら、あの背の高い男の子。あの子がお見舞いに来た日は貴方、機嫌がいいものね、って。
 彼女も僕のちょっとした変化を見つけるのがとても上手い。さすがだ、と僕は敬服してしまう。それとも単に僕が、そういうのがわりと顔に出ちゃうたちなのかな。
 きみはいつも授業のノートと配付物を届けてくれて、今週なにがあったか教えてくれる。僕らはそれを「下界の話」と呼ぶ。僕の囚われているこの場所は14階だから。下界はどう?って僕が言うと、きみは首を横に振って「相変わらずだ」とつぶやく。そして僕らはエレベーターで屋上へ行って、下界の噂話をする。
 病院の屋上には高い金網のフェンスが張り巡らされている。金網の網目の間から下界を透かし見ると、遠くに光るコンクリートとガラスの塔が、きみの住む場所だ。
 僕もかつて住んでいた場所。
 僕はいつ、あそこに戻れるんだろう。病んだ身体で17階という高さに立ってみると、人がここから飛んでしまいたくなる気持ちが、はじめてわかった。あの塔の下の平和なキャンパスで、毎日きみやみんなと楽しく過ごしていた頃はそんなの、まるで理解できなかったけど。未来が見えなくて一人きりだと、きっと天使が神様のお側を恋しくなるように、翼もないのにふと惹かれて旅立ってしまうんだ。だから、こんなに高い囲いが必要なんだね。
 きみが一緒じゃなければ、あそこには上りたくない。
 でも、きみと一緒だったら、とても居心地がいい。日差しが暖かくて、風も吹いてる。
 そしてときどき、二人きりにもなれる。